世界の数学界のおかしな間違い,世界の初等教育から学術書まで間違っていると言える―ゼロ除算 $100/0=0$, $0/0=0$
ゼロ除算は西暦628年インドでゼロが文献に記録されて以来,問題とされてきた。ゼロ除算とは,ゼロで割ることを考えることである。これは数学の基本である,四則演算,加法,減法,乗法,除法において,除法以外は何時でも自由にできるのに,除法の場合だけ,ゼロで割ることができないという理由で,さらに物理法則を表す多くの公式にゼロ除算が自然に現れていることもあって,世界各地で,今でも絶えず,問題にされていると考えられる。―小学生でもどうしてゼロで割れないのかと毎年,いろいろな教室で問われ続いているのではないだろうか。
これについては,近代数学が確立された以後でも,何百年を越えて永い間の定説として,ゼロ除算は不可能であり,ゼロで割ってはいけないことは,初等教育から,中等,高校,大学そして学術界,すなわち,世界の全ての文献と理解はそうなっている。変えることのできない不変的な法則のように理解されていると考えられる。
しかるに2014年2月2日ゼロ除算は,可能であり,ゼロで割ればゼロであることが,偶然発見された。その後の経過,背景や意味付け等を再生核研究所声明に纏めてきた。
ところが,気づいてみると,ゼロ除算は当たり前なのに,数学者たちが勝手に,割り算は掛け算の逆と思い込み,ゼロ除算は不可能であると絶対的な真理であるかのように烙印を押して,世界の人々も盲信してきた。それで,物理学者がそのために基本的な公式における曖昧さに困ってきた事情はニュートンの万有引力の法則にさえ見られる。
さらに,誠に奇妙なことには,除算はその言葉が表すように,掛算とは無関係に考えられ,日本ばかりではなく西欧でも中世から除算は引き算の繰り返しで計算されてきた,古い,永い伝統がある。その考え方から,ゼロ除算は自明であると道脇裕氏と道脇愛羽さん6歳が(四則演算を学習して間もないときに)理解を示した―ゼロ除算は除算の固有の意味から自明であり,ゼロで割ればゼロであるは数学的な真実であると言える(声明194)。数学,物理,文化への影響も甚大であると考えられる。
数学者は数学の自由な精神で好きなことで,考えられることは何でも考え,不可能を可能にし,分からないことを究め,真智を求めるのが数学者の精神である。非ユークリッド幾何学の出現で絶対は変わり得ることを学び,いろいろな考え方があることを学んできたはずである。そのような観点からゼロ除算の解明の遅れは奇妙な歴史的な事件であると言えるのではないだろうか。
これは,数学を超えた,真実であり,ゼロ除算は不可能であるとの世の理解は間違っていると言える。そこで,真実を世界に広めて,人類の歴史を進化させるべきであると考える。特に声明176と声明185を参照。ゼロ除算は堪らなく楽しい新世界を拓いていると考える。
以下次号
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