ゼロ除算の教え
ゼロ除算は,数学ばかりではなく,人生観,世界観や文化に大きな影響を与える。
ゼロ除算における新現象,驚きとは Aristotélēs の世界観,universe は連続であるを否定して,強力な不連続性を universe の現象として受け入れることである。
と述べた。
ゼロ除算は無限遠点(無限)が実はゼロ点(ゼロ)と一致していたという驚嘆すべきことを言っているが,それらは対立するものの奇妙な一致を述べている。
他方,ゼロ除算は,爆発や衝突における強力な不連続性を表現しているとして,論文で触れられているが,まこと,ユニバースの普遍的な現象としてそのような強力な不連続性が存在するのではないだろうか。糸でも切れる瞬間と切れるまでの現象,物体でも近づいている場合と衝突,合体した場合では,全然違う現象として考えられ,強力な不連続性は世に見られる普遍的な現象ではないだろうか。
生も死も表裏一体である,勝利も敗北も,喜びも苦しみも,幸せも不幸も,自由も束縛も,愛も憎しみも,等々表裏一体であるとの世界観が視野と心の在りように新しい世界観をもたらすものと考えられる。
食物連鎖の厳しい現実は,食べるものと食べられるものの一致,生と死の一致,愛と憎しみ,愛と性など一見反するものの微妙な調和,同等性,一致はそれこそ universe に普遍的に見られる現象ではないだろうか。そのような視点は universe の理解,概念に新しい感覚と世界を拓くだろう。またそのような事実,世界を肯定できなければ,universe を肯定できないのではないだろうか。
富める者は貧しき者であり,貧しき者は富める者である。強いものは弱いものであり,弱いものは強いものである。敵は味方であり,味方は敵である。幸せな者は不幸であり,不幸な者は幸せ者である。
一般に考えられているのとは逆に,長命なものは不幸であり,短命なものこそ幸せであるとは言えないだろうか。
進化は退化であり,退化は進化であり,美しいものは醜く,醜いものは美しいものである。
賢い者は愚かな者であり,愚かな者は賢い者である。優れるものは劣るものであり,劣るものは優れたものである。正義は悪であり,悪は正義である。明は暗であり,暗は明である。動は静であり,静は動である。
それらは,ゼロ除算のように惹きつけるものがあるのではないだろうか。
ゼロ除算の研究とは,哲学であり(哲学とは真智への愛であり,真智とは神の意志のことである。哲学することは,人間の本能であり,それは神の意志であると考えられる。愛の定義は声明146で与えられ,神の定義は声明122と132で与えられている。)修行であり,信仰であるとも言える。信仰こそはゼロ除算の典型であると言える。実際,ゼロ除算はゼロから無限へのワープであり,信仰とは心の中心から神へのワープである。
以下次号
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